BUMP OF CHICKENとめうめう

BUMP OF CHICKEN 歌詞解釈とか創作、趣味についてのブログです。

BUMP OF CHICKEN arrows歌詞解釈

一ヶ月ぶりくらいの更新ですね。今回は「arrows」を歌詞解釈していきたいと思います。この曲は声が優しくて聴きやすいなっていうのとラストの盛り上がり部分がかっこいいなってイメージですね。
BUMPで好きな曲は?と言われた時にあまり挙げられる事が多い曲では無いかもしれないですが私はかなり好きですね。
では解釈の方をしていきたいと思います。



「大長編の探検ごっこ 落書き地図の上
迷子は迷子と出会った 不燃物置き場の前
嫌いな思い出ばっかり詰めた 荷物を抱えて
ずっと動けない自分ごと埋めて と笑った」

最初に出てくる「大長編の探検ごっこ」ですが、これは何か貴重なものを探し求める人生を表しているのかなと思いました。
「ごっこ」というワードが少し引っかかっているんですけどなぜごっこなのかはまだ分かりそうにないので先に進みます。

大長編なだけあって色んな場所に行ったのでしょう。そのせいで地図には沢山の書きこみ、落書きがあります。
しかし地図があるにも関わらず僕は迷子になってしまいます。
そして迷子になった僕は同じく迷子になった君と「不燃物置き場の前」で出会います。

不燃物置き場の前は何のメタファーなんでしょうかね⋯。何となくですけど、夢が叶わなかったり、大事なものを見つけられないままで成長してしまったりして今までの人生を後悔している人たちが集まる場所なのかなぁと。(それがどこかと言われるとイマイチピンと来る場所が無いですが。)

※加筆させて頂きます。あくまでも自分の考えです。受け入れられないなぁという方は流し読み、または読み飛ばして頂けるとありがたいです。
arrowsの終盤の歌詞にて「荷物のない体」という言葉があります。
「あんなに近いずっと遠いあの雲にのぼる」=「死後の世界へ行く」と考えて解釈するならば、荷物のない体は死んだ後の自分という事になるのかなと。
つまり自ら荷物を捨てるという事は自殺するという意味合いになるのかもしれないです(少し過激な考えかもしれませんが。)
そして不燃物置き場とは自殺志願者の方が集まる場所という事なのかなと。


自分が望むような結果を得られなかった人生なら嫌いな思い出ばっかりだと言うのも分かるような気がします。
そんな思い出しかない人生ならもうこれ以上何もしたくない。動きたくない。だから僕ごとこの思い出を埋めて欲しい、と笑ったのはどちらでしょうか。僕が言っても君が言ってもおかしくない状況ですよね。
あるいは二人とも同じ事を考えていてそれが面白くて笑ったのかもしれませんね。


「似てて当たり前 そういう場所だから

どこから来たのと尋ね合い すぐに馬鹿馬鹿しくなる
ここに来るまでの経緯なんて 教えてどうする
行きたい場所は全部廻った 泣きそうな雲の下
なんにも無くしてないのに 空っぽの気がした」

人生に失望(もしくは絶望)し目的を見失ってしまった人ばかりが集まる場所だから皆考える事は似ているという事ですかね?

そして次の「どこから来たの?」という台詞ですが、ここは「どんな夢を持っていたの?」と意訳してあげると分かりやすいかなと。
お互いに相手に興味を持ち、相手が人生に希望を持っていた頃の話を聞こうとしますが、そこから挫折、失意し今に至るまでの経緯を訊いたって何になるんだ。と思い直し馬鹿馬鹿しくなってそれを止めてしまいます。

その後の歌詞、行きたい場所は全部廻ったと言った後になんにも無くしてないのに空っぽの気がしたと言っているのは結構矛盾だなぁと思ったり⋯(笑)

「行きたい場所」=「自分のしたかった事」と考えると、普通なら自分のやりたい事を全部やれたら充実感や幸福感でいっぱいになるんじゃないかなと思うんですよね。この曲の僕だって別に例外というわけではないと思うのでこれは、もう行きたい場所へ行くのを諦めてしまったという事なのではないかなぁと感じました。
「泣きそうな雲の下」という歌詞がさらに悲哀を感じさせます。

本当に行きたい場所(最終目的地?)に辿り着けないまま、欲しいものを手に入れられないまま不燃物置き場の前にやって来てしまったので、なんにも無くしてないのに空っぽの気がしたのでしょう。

先程、地図を持っているにも関わらず僕は迷子になってしまったと書きましたが、今までは行きたい場所に行くだけでよかった人生を過ごしていた僕が、大きな挫折を味わった今何処に向かうべきか分からなくなってしまったという事を表しているのかなぁと思いました。

「それでも 大丈夫だって 言ってあげなくちゃ
大丈夫じゃない自分も 動けないしな あぁ もう」

ここは、
失意のどん底からまた這い上がっていくのは並々ならない努力や精神力が必要だ。
そんなの怖いし本当ならこのまま埋めてもらいたいくらいだしまた失敗するくらいならもう動きたくない。
けど、それでも動けない君のために大丈夫って言ってあげなくちゃ!そして動けない僕を奮い立たせるためにも大丈夫って言わなくちゃ!
という感じでしょうか。


「見つけたものは本物だよ 出会った事は本当だよ
捨てるくらいなら持つからさ 貸してよ
なるほど これだけあれば 当分お腹減らないな
一緒に ここから 離れよう」

君が今までに見つけたものは本物だよ、君が今までに出会った事も本当だよ。君の今までの出会いや経験、捨てるくらいなら僕が持つから貸してよ。
これだけあればしばらくお腹減らないな。
じゃあ一緒にこの不燃物置き場から離れようか。

僕の言葉なんでしょうけど分からない所をいくつか濁してしまいました。
特に、当分お腹減らないってどういうことなんでしょうか⋯思い出って食べ物なんですかね⋯()
コメントで指摘してくださる方がいれば幸いです。


「友達増えた探検ごっこ 降りだした雨の下
迷子は迷子と出会って リュックサックのとりかえっこ
行きたい場所は全部廻って いい加減に飽きたら
あんなに近い ずっと遠い あの雲にのぼろう」

二番に入ってから僕と君は一緒に探検ごっこを始めます。
雨が降っていて気分は晴れないけれどそれでもお互いの辛かった思い出を取り替えて歩き出した二人。

どちらから言ったのか分かりませんが
「行きたい場所は全部廻って飽きちゃったら近いようでずっと遠くにあるあの雲に登ろう!」
という提案がなされます。

雲の上と言ったら「手が届かない」「高嶺の花」「天国」みたいなイメージがありますね。
「僕らが自分の夢を叶えたら二人でもっと大きい目標に挑戦しよう!」
という事なのか
「やりたい事を全部やり終わったら死んだ後に一緒にあの雲の上に行こう!」
という事なのか。

しかしながら「いい加減に飽きたら」という歌詞があるので後者の方がニュアンスが近いかもしれませんね。

「ひとつだけ 誤魔化したままだ お互い気付いてる
何を背負っても 自分のものじゃないなら

どれだけ大事にしても偽物だよ でも大事な事は本当だよ
預けたものなら要らないさ 迷子のままでも
君さえいれば きっと僕でいられるさ
一緒に ここから 離れよう」

二人で一緒に旅をして色々な経験、出会いをしてきたけれど背負っているリュックサックは自分のものではないからどれだけ背負っても大事にしても自分のものにはならない、ってところ少し寂しく感じましたね。自分の思い出は捨てようとするくらい嫌いなのに、大事にしたい思い出は自分のものじゃないっていう⋯。

そして僕は
今までの思い出なら要らない、このまま自分のやりたい事が見つからなくたって君がそばにいてくれるだけで僕は僕でいられるはずだから。
と思っているようです。

君に出会ってからの僕は「君さえいればそれでいい!」みたいな感じになってる気がしたのですがそんな事ないですか?
なんていうかこのパートの「一緒にここから離れよう」はあんまり前向きな感じがしなかったというか⋯。

気持ちを奮い立たせるため無理矢理大丈夫って言ったけど、夢を追いかけるのは大変だしまた辛い事もあるだろうからやっぱり諦めてずっと一緒にいようよ、君のそばは心地いいし!みたいな(笑)
そういう風には捉えなかったよ〜って方ももちろん沢山いらっしゃるでしょうから解釈の分岐って感じですが⋯(・_・;)



「大長編の探検ごっこ 泣きやんだ雲の下
離れたのに振り返ると 不燃物置き場の前
もう一度やって驚いた リュックサックのとりかえっこ
素敵な思い出ばっかり詰めた 荷物になってた」

ここは、二人で探検ごっこをしていてもやっぱり嫌いな思い出は拭い去れなくて、また挫折するのも怖くて結局また不燃物置き場の前に帰ってきてしまったという事なのかなと思いました。

そして、預けたもの(要らないと言ったもの)を不燃物置き場に捨ててしまおうとしますが、捨てる前に「最後だから」と思い少しだけ覗いてみたところ、あんなに嫌いな思い出ばっかりだったはずの荷物が素敵な思い出ばっかり詰めた荷物に変わっていたことに彼らは気づきます。


「今こそちゃんと 言ってあげなくちゃ
さよなら言えない自分に 言わなくちゃ

大丈夫 見つけたものは本物だよ 出会った事は本当だよ
捨てられないから持ってくよ 迷子だった時も
出会った人は生き物だよ 生きてた君は笑ってたよ
迷ってた僕と歩いたよ 偽物じゃない荷物だよ
これだけあれば きっと僕でいられるさ
一緒に ここから 離れよう」

お互いがお互いに依存して離れられなくなっていた僕と君ですが、まあ自分の人生は自分の人生で他人とずっと一緒というのは難しいわけで⋯。
そこで僕は、君のために、そして何より自分自身のために君との決別を決意します。

大丈夫。今まで見つけたもの、出会ったもの全部本物だよ。迷子だった時の自分だって自分自身なんだ。置いていくわけにはいかないから持っていくよ。
自分のものじゃないなら全部偽物なんだって思ってたけれど、荷物を取り替えた後迷子の僕と一緒に歩いてくれた、笑ってくれた君は確かに生きていて、その時の思い出は偽物なんかじゃないんだよ。
君との素敵な思い出がこれだけあれば、君と離れても僕は僕でいられるよ。
さあ、この不燃物置き場からお互いの夢に向かってもう一度歩きだそう!
みたいな事を言ってるのかな⋯(脳内補完凄まじくてすみません。)


「涙と涙が出会ったら架かる 弓の唄
行きたい場所は全部廻った後で また会えたら
荷物の無い体ふたつで その弓を渡ろう
あんなに近い ずっと遠い あの雲にのぼろう」

涙は君と僕を表しているのでしょう。
あと催涙雨や空が泣くという表現に見られるように涙と雨はニアイコールの関係として用いられる事がしばしばあります。
さらにarrowsの考察では弓=虹、矢=僕と君という解釈をよく耳にするのでこれらのアイデアを踏まえて続きを解釈していきますね。


涙と涙が出会うと雨が降り、しばらくすると雨(涙)が止む。雨が止んだ空からは虹が覗く。
この曲の歌詞では空の描写が何度か出てくるのですが
二人が出会う→泣きそうな雲の下
二人の出発一度目→降り出した雨の下
リュックサックの交換→泣きやんだ雲の下
二人の決別→弓の唄
という感じで結構二人の行動と空模様が対応してますよね。二人の出会いが無ければ雨の後の虹もなかったわけですから彼らはお互いに素敵な人に出会えたのだなと羨ましく思います。

弓の唄が虹そのものを表しているわけではないかも知れませんが二人の気持ちを奮い立たせるものなんだろうなーという認識です。(ふにゃふにゃな認識)

弓から放たれた矢達は自分の人生の目的を達成した後にまた会えるならば、自分達の始まりの場所であるこの弓の元にもう一度集まり一緒に空へ昇っていこうという約束を交わし互いの道を進んでいく、という所で歌詞が終わります。


最後に大長編の探検ごっこの謎について考えてみたのですが。
探検には大きな発見や成果が付き物だろうという考えが自分の中にはあって、そういう考えで見ていくと今までの彼らはまだ何かを成し遂げたわけではないのであくまでも「ごっこ」なのかなぁと。これから目標を実現しごっこを本当の探検に変えられるかは彼ら次第といった感じでしょうか⋯。


今回はここで終わりにしたいのですが一つお詫びが⋯。
今回歌詞が長いこともあって記事がかなり長文になってしまいました。申し訳ございません。
久しぶりだったので気合が入ってしまいました。
ここまで読んでくださった方がいればありがとうございます!また暇があればブログを更新したいと思います!



orbital period

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