BUMP OF CHICKENとめうめう

BUMP OF CHICKEN 歌詞解釈とか創作、趣味についてのブログです。

BUMP OF CHICKEN voyager flyby 歌詞解釈

今回は私が一番好きなアルバムであるOrbital periodから「voyager」「flyby」を見ていきたいなと思います。


はい、正直に言うと分からない所だらけですね。
どんなに離れても周回軌道上ってなんだよとかワタシとアナタって誰だよとかそもそも情景が思い浮かばないよとかetc.

まずvoyagerとflybyについて触れておくと、voyagerって言うのはアメリカから打ち上げられた無人惑星探査機のことらしいですね。太陽系を出たりしているらしいからそれはそれは長い旅なのだろうなと思ったり。

次にflybyの意味について辞書を引くと、何かの近くを飛ぶ、さっと通り過ぎる、(時間が)飛ぶように過ぎるなどが出てきました。

なるほど、タイトルについてはとりあえずこの辺にしておいて次は歌詞を見ていきます。

voyager

「〇月✕日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
ワタシハ ドンナニ離レテモ イツモアナタノ 周回軌道上」

まず○月×日になぜ具体的な数字を入れなかったのかなと考えました。恐らく今まで何度も何度も通信を行ってきたが応答は一度もなかったという事を表したかったがために、任意の数を当てはめられる○月×日と表記したのかなと。具体的にしないことで神秘性が得られるからという線もあるかも。

その後にワタシとアナタが出てきますが今回はワタシ=アナタで考えました。
バンプの歌詞によく出てくる「弱い自分」と「それを認められない自分」が登場人物でしょう。
ワタシ=弱い自分
アナタ=それを認められない自分かな。

周回軌道っていうのは月が地球の周りを回るみたいに外から力を与えられなくても星と星が付かず離れずを保てる軌道のことなんですが、それを踏まえてワタシは
「どれだけアナタが離れようとしてもアナタから付かず離れず確かにここにいるよ」
と言っているんだと思います。

ワタシはアナタに近づきたい、アナタはワタシから離れたい。両者の願いが合わさった結果の付かず離れずなのかな。


「夜空に光を放り投げた あの泣き声は いつかの自分のもの
記憶に置いていかれても 活動は続く 遠く」

今までカタカナ混じりだったのにいきなり普通の文になっている!
これはアナタ目線からの台詞と考えるのがいいかもしれないですね。

バンプの曲って一旦弱い自分から目をそらそうとする歌詞が多いですよね。
メーデー」は心の底に沈めるし「ダイアモンド」は置きざりにするし。
今回も例に漏れず宇宙に飛ばしてますね。(心の外に追い出した気になって見ないようにしてる感じですかね。)

いつかの自分の泣き声が聞こえたけれど、そんな弱い自分とはさよならだ。打ち上げてしまえ!
と言った感じで打ち上げられ心から追い出されるけれど心の外側でアナタからの応答をずっと待ってるんですね、少し悲しい。
(心から離される?ことを分かりやすくするために記憶に置いていかれると表現しているのかなと。)


「応答願ウ
命ノ地表カラ 打チ上ゲラレテ 随分経ツ
ズット 通リ過ギル星ノ 数ヲ数エテ 飛ンデキタ
ソノ度覚エタ 音ヲ繋ギ メロディーヲ送ル」

アナタに気づいて欲しくて頑張るワタシ。
命の地表=アナタのいる所でしょうか。
宇宙をアナタの心の外側として考えると、星とは今まで関わった他人の事だろうと。

ずっとアナタの周りを回りながら色んな人との出会いや別れを見てきたワタシ。
そしてその人達に出会う度に手に入れてきた素敵な思い出を集めてアナタに語りかけ続けるワタシ。

完全に私の考えでしかないけれど
「色んな人に出会えて素敵な思い出が出来たね。
いつかワタシともまた出会って欲しいな。」
みたいな事を語りかけてるのかなぁ。

ここからflybyに曲が変わります。


flyby

「ワタシハ ドンナニ離レテモ イツダッテ僕ノ 周回軌道上
アナタハ ドンナニ離レテモ イツダッテ君ノ 周回軌道上」

ここではワタシ=僕、アナタ=君で別人かな。
ここはvoyagerの最初と同じ感じですかね。
メーデー」にある僕、僕に嫌われた僕、君、君に嫌われた君の関係に似てるなと思いました。


「応答願ウ
心ノ裏側ヲ グルリト回リ戻ッテキタ
flyby 距離ハソノママデモ 確カニスグ側ニ居タ
バイバイ 忘レテモ構ワナイ 忘レナイカラ
応答願ウ ズット 応答願ウ
教エテモラエタ 声ヲ乗セテ メロディーヲ送ル」

僕、君からの応答を待っているワタシとアナタ。
そしてここから先正直どういう事を言っているのか分からない(涙)
心の表側=僕の知っている僕、心の裏側=僕の知らない僕、もしくは僕が隠している僕という事でしょうか。

なんだかジョハリの窓みたいな話になってきましたね。
僕が知らなかった僕を見つけるため弱い僕(ワタシ)は心の裏側までぐるりと回りそして戻ってきます。

ただこれ、弱くて臆病な自分がやった事なんですよね。
一人だったら心の裏側なんて怖くて見に行けなかったかもしれません。それが出来たのはアナタがいてくれたからなんだろうなと。
そして心の裏側を見る事によって、今まで周回軌道上から付かず離れずだと思っていた僕が実はすぐ傍にいた事に気付きます。

バイバイ忘れても構わない、忘れないから。はアナタに対しての言葉でしょう。
応答願ウって言ってるのに、僕に対して
バイバイ、忘れてもいいよー」
と言ってるのは流石に不自然すぎるので。

そして僕が近くにいる事に気付けたワタシは、アナタ(君)との出会いから生まれた思い出を乗せて僕に語りかけます。

応答願ウを二回繰り返す事で期待とか切実な思いとかがより感じられる気がしますね。


「○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
アナタハ ドンナニ離レテモ 君ノ心ノ 周回軌道上」

いつか僕が、そして君が弱い自分を受け入れられる人になり、呼びかけに応えてくれる事を信じてワタシ、アナタは今日も通信を試みます。


初めて聴いた時、本当に何について歌っているのか全然分かりませんでした(笑)
つまりどういうことだってばよ!ってなってましたね。
ただメロディーも切ない感じの歌詞も大好きだったので聴きまくってましたが。

そういえばvoyagerを出産?だと捉えて解釈されてる方やラブソングと捉えている方もいてなるほど、そういう考え方もあるのかと思いました。

この曲は本当に謎でしかなかったので自分の中で自分なりの解釈が出来て良かったです!
では今回はここまでにしたいと思います、ありがとうございました。

voyager

voyager

BUMP OF CHICKEN セントエルモの火 歌詞解釈

「COSMONAUT」の中には星を絡めた曲が多いですけど「セントエルモの火」もその一つですね。

その昔琴の名手であったオルフェウスが航海中に嵐に遭いました。
嵐を静めるためオルフェウスが琴を奏でると船のマストに二つの炎が降りてきます。これがセントエルモの火ですね。
この火は双子座のカストルポルックスとされているのですが、セントエルモの火が灯ると嵐が静まると言われています。

無類の星好きな私は8月12日のペルセウス座流星群極大の日、夏の大三角に深い関係のある話だからと思ってドヤ顔でこの話を友人にしてました(歌詞解釈と関係ない。)
友人もバンプ好きだったおかげでちょっと盛り上がってよかったです。

セントエルモの火はめっちゃがつくほど大好きな曲なので今回も気張ってこーと思います。


「夜が終わる前に追い付けるかな 同じ坂道の上の違う位置で
同じ場所に向けて 歩いてるんだ 今どんな顔してる
どれくらい先にいるんだろう」

ここで登場人物が二人いることが分かります。
まあ藤原さんから升さんへの曲とも言われてるからこの二人の事なんだろうけどそういうのは気にせずいきます!

夜が終わる前に追いつけるかな、から二人の距離は離れていることが分かります。
主人公は君のことをめっちゃ考えてますね。
今どんな顔だ?とかどれくらい先にいるんだ?とか。
同じ場所に向かって歩いていくけど君の姿が見えないため君のことを想像することしか出来ません。


「言葉を知ってるのはお互い様な 言葉が足りないのもお互い様な
勝手について来たんだ 構わず行けよ ほら全部がお互い様な」

言葉を知ってる=長所
言葉が足りない=短所
と捉えると長所があるのも短所があるのもお互い様だ。
君の進む道を僕が勝手に付いてきたんだから君は僕に構わず進んでいってくれ。
僕が付いていくのも、君がどんどん進んでいくのもお互い様だよ。って感じですかね。


「how far are you? 星が綺麗な事に 気付いてるかな
僕が気付けたのは 君のおかげなんだよ ずっと上を見てたから」

どれくらい君と離れてるんだろう。
星=君との思い出、君に付いていくことで出会った人や出来事として考えると
君は今まで出会ったものが美しく輝いている事に気付いてるかな?
僕は君のおかげで気付けたよ。となりそうですね。
ありがとうという言葉自体は無いけれど、主人公の君への感謝の気持ちが伝わってきます。


「急に険しくなった手も使わなきゃ ここ登る時に怪我なんかしてないといいが
立ち止まって知ったよ 笑うくらい寒いや ちゃんと上着持ってきたか」

私は富士山に登ったことが無いので分かりませんがやっぱり頂上に近づくほど険しくなっていくものなんですかね。
僕が君に(物理的な意味でなく)近づこうとすればするほど困難が降り掛かってくることの暗喩かも知れませんが。

最初聴いた時は気付けなかったのですが
「怪我なんかしてないといいが」
「上着持ってきたか」
は僕が君を案じて発した言葉のようですね。


「解り合おうとしたら迷子になる 近くても遠くてややこしくて面倒な僕らだ
だからついて来たんだ 解り易いだろう ちょっとしんどいけど楽しいよ」

ここで君と僕は完全に解り合おうとするとむしろお互いが分からなくなる、近くにいるはずなのに意外と分からないもの同士なんだと言っています。

そして無理に解り合うという道を選ぶより君の後ろを付いていき、君の見たいものやしたいことを僕も見よう、やろうと思うようになります。

君の後ろに付いて今まで色んなことをしてきました。
しんどいと思う事もあるけれど楽しいよ、君に付いてきてよかった。と感じているのかな。


「how far are you? 震える小さな花を 見付けたかな
闇が怖くないのは 君のおかげなんだよ 君も歩いた道だから」

どれくらい離れてるの。何度も繰り返される質問ですね。
震える小さな花、これは正直何を表しているかイマイチ分からなかったのですが、その後の闇が怖くない~と対比させると
「目標に向かう真っ暗な道を歩いていくのが怖くて立ち止まっている人」みたいな感じかな。うーん、分からん(・_・;)
僕がその人達みたいに怖がらずに済むのは君が進んだ道を歩いてるからなんだよ。この事から僕は君にかなりの信頼を寄せていることが分かります。


「言いたい事は無いよ 聞きたい事も無いよ
ただ 届けたい事なら ちょっとあるんだ

ついて来たっていう 馬鹿げた事実に
価値など無いけど それだけ知って欲しくてさ」

無理に解り合おうとするより君の後ろを付いていく事を選んだのに今更言いたい事も聞きたい事もないよ。
でも僕が君の見たいものを見たくて今まで付いてきた事、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけどそれは知ってほしいな。


「どれくらい先にいるんだろう どれくらい離れてるんだろう」

そしてまたこの質問が投げかけられます。


「靴紐結びがてら少し休むよ どうでもいいけどさ 水筒って便利だ
寝転んでみた夜空に 静寂は笑って 月が滲んで揺れる
解らない何かで胸が一杯だ こんなに疲れても足は動いてくれる
同じ場所に向けて 歩いてたんじゃない 僕は君に向かってるんだ」

ここ最高に好きなところですね。
情景が浮かんできて感動を誘うというか。

「夜空」に「静寂」、正直セットで来ると怖いものがあるのですが静寂は笑ってと表現しているあたりやはり君がいる事への安心感が強いんだなと思いました。

感動なのか感謝なのか憧れなのか解らない何かが月を滲ませ、僕の足を動かす。
そして僕は言います。
「僕は頂上を目指してたわけじゃない。君の行く場所に行きたいんだ。」と。


「how far are you? 一緒に生きてる事は 当たり前じゃない
別々の呼吸を 懸命に読み合って ここまで来たんだよ」

一緒に生きてる事は当たり前じゃない。
僕は勝手に付いてきて、君はどんどん進んでいくように見えるけど本当はお互い相手のことを考えながら生きてきたんだよ。という事ですかね。


「how far are you? 僕が放った唄に 気付いてないなら
いつまでだって歌おう 君のおかげなんだよ いつも探してくれるから
必ず見付けてくれるから」

僕が放った唄とはこの唄の事でしょう。
主人公が届けたい事が綴られている唄ですから。
君は背中を向けて僕の前を進んでいく存在ではあるけれど僕を見ていないわけではないんですよね。
だからこその必ず見付けてくれるなのでしょう。


「今どんな顔してる ちょっとしんどいけど楽しいよ
ほら 全部がお互い様な さあ どんな唄歌う
どれくらい先にいるんだろう どれくらい離れてるんだろう
どれくらい追い付けたんだろう
さあ どんな唄歌う」

君は大丈夫かい?僕はちょっとしんどいけど楽しいよ!
君が何をしようと僕が何をしようとお互い様だ。
君はどんな唄が歌いたい?
君はどれくらい先にいるのかな?僕は追いつけてるかな?
さぁ、僕らこれからどんな唄を歌おうか。
と僕と君がこれからも君の行きたい場所へ向けて歩いていくことを予感させながら曲は終わります。


藤くんと秀ちゃんの歌ってことに引っ張られずに考察するぞって思ったけど、最後とか思いっきり引っ張られましたね。
正直升さんはかわいい印象が強かったのですが(失礼?)、やっぱりバンプに引き込んだ張本人として尊敬というかこいつすげぇと藤原さんから思われてたんでしょうね。

今回はこれで終わりたいと思います。
ありがとうございました!


COSMONAUT

COSMONAUT

歌詞解釈をするにあたって

今回は私がBUMP OF CHICKENの楽曲を歌詞解釈するにあたって考えたことを書こうかなと。

バンプって初期の方は比較的素直で解釈しなくてもある程度分かる歌詞が多いですよね。
アルエとか車輪の唄とかKとか。
でも作詞家としての藤原さんが成長していったからか段々と分かるようで分からない観念的、抽象的な歌詞が増えてきたかなと。


もちろんインスピレーションで
「ここの歌詞めっちゃ好き!」
みたいな聴き方も一つにはあると思います。
最近まで私もそういう風に聴いてたし(笑)

けれど段々それだけじゃ足りなくなってくるんですよね。
藤原さんが何を言いたいのか、伝えたいのかきちんと受け取りたくなってくる。
そして歌詞がスッと頭に入ってこないなら自分で噛み砕いてどういう事を言いたかったんだろうと推測していくしかない。

なので歌詞解釈を始めることにしました。
こうやってネットにアップするのは誰かの解釈を邪魔する事になるんじゃないかとも思ったんですが、その一方で誰かの解釈の手助けになればいいなとか他の方の解釈も聞いてみたいという気持ちがあり結局ブログを開設してしまいました(。>ㅅ<。)


歌詞解釈、最初は難しそうだなと思ったんですがやってみると案外楽しいですね!
なんというかセンター試験の現文を解いてるような感じです(笑)
歌詞中に根拠を見つけながら自分なりの解釈を構築していく気持ちよさにハマってしまいました。

センター試験とは違って、藤原さんが本当に言いたかったことと少しズレていてもそれはその人の解釈という事で許してもらえますしね(笑)
どうせ解釈するなら彼が言いたかったことを汲み取れるようになりたいですけど。


BUMP OF CHICKENは結構
「解釈は君次第だ!」
ってスタンスを取ってますけど、歌詞解釈をする前の私は
「背景とかメッセージとか明示してくれた方が歌詞が伝わりやすくていいと思うのにな」
と思っていました。

けれど解釈を始めて思ったのは、レム、66号線、メロディーフラッグみたいな作られた背景が見え隠れしている曲は、その背景に即した解釈をしないと駄目なんじゃないかと考えてしまいなかなか自由な発想に至れないという事ですね。
自分がこう考えても、この背景があるからこの解釈は違うだろうみたいな。

そして、それが嫌だったからあえて藤原さんは自分の歌詞に込めた思いみたいなのを明言する事を避けているんだろうなと気付きました。

色んな人が色んな解釈をする事で、歌はよりその人達の近くに寄り添う事が出来ると思いますし。

もしファンの一人が
「僕、彼女と別れたんですけどあの曲を聴いて、なんだか僕の事を歌ってるみたいに思えて元気になれました!」
とコメントしたとして、それに対して藤原さんが
「あれは僕の親の事を考えながら作った曲なんですよ〜(笑)」
って言っちゃったら、途端に感情移入出来ない=傍に寄り添う事が出来ない曲になっちゃうかもしれないですしね。


まあそんな感じで私も自分の好きなように解釈して
「藤くん良いこと言う〜(^-^)」
とか勝手に感動してます(笑)

このブログを見てくださった方には
「こういう解釈もあるのか、なるほど面白いね。」
くらいに思ってもらえれば嬉しいです!
あくまで自分の解釈を一番大事にしてもらいたいですけど。


自分の言いたい事を言うだけで終わりますが、お付き合い頂いた方、ありがとうございました。
新しい歌詞解釈の記事もそろそろあげます。

BUMP OF CHICKEN 太陽 歌詞解釈

今回は「ユグドラシル」から「太陽」を選ばせてもらいました。
この曲は初聴終了後主人公がこれからどうなってしまうのか不安でハラハラした思い出があります。
曲自体はゆったりしてて優しい印象だったんですが歌詞が不安を煽ってくるというか⋯(笑)
いつか歌詞解釈をしてみたいと思っていた曲なのでので頑張ります。


「二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 動物が一匹
ドアノブが壊れかけていて 触れたら最後 取れてしまいそうだ」

まず窓のない部屋がどこなのかという事ですが、これは主人公の心の殻、その内側と考えるのが丸いかなと。
二度と朝には出会わない=窓のない部屋から出ることはもうないという事ですかね。
動物というのは主人公のことでしょう。

そして心の殻から外に出るためのドアについているドアノブは壊れかけている。(決心を一度決めて外に出たらもう帰って来られないようにするためかな?と。)

主人公は心の殻に閉じこもってしまっていますね。
自分が外に出るために開けなければいけないドアのノブが取れそうな状態であるにも関わらずなんだか他人事な感じがするし。


「このくらい寒い方がいい 本当の震えに気付かないで済む
不愉快も不自由も無い その逆も初めから無い
例えば笑ってみろよ こっちもひたすら笑えるさ」

窓のない部屋にいる訳ですから暖かい太陽の光が入ってくることもなく寒々しい感じなんでしょう。
このくらい寒い方が恐怖や寂しさから来る震えに気づかずに済むという事ですかね。

そして自分の殻にこもって誰とも関わらないようにした結果不愉快も不自由も楽しさも自由も無くなってしまいました。

その後はこんな僕を笑いたければ笑ってくれ。こっちだって人間関係のしがらみに囚われて悩んでいる君達が面白くて笑えるよみたいな感じでしょうか。


「空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた
そして誰もが口を揃えて 「影しか見えない」と言った」

空のライト=太陽=人の優しさ、温かさと言ったものでしょうか。
それを僕は眩しいと感じ、上手に受け取ることが出来ず自分の殻に閉じこもり続けました。
殻の中に閉じこもっているせいで誰も彼の姿を見ることが出来ません。だからこその影しか見えない(本当の君が分からない)という事なのでしょう。


「二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 心臓がひとつ
目を閉じていても開いてみても 広がるのは 真っ暗な世界
例えば泣いてみろよ こっちはそれすら笑えるさ」

まだ外の世界に出ていく気はないようです。
部屋には照らしてくれる光が無いので目を閉じても開いても真っ暗な世界が広がっています。

その後の所は僕のために泣いてみてくれ。僕はその涙を信用しないからそれを笑うだろうけど。という事かな?人間不信な感じがバンバン出てますね。


「君がライトで照らしてくれた 暖かくて 寒気がした
光の向こうの君の姿が 僕には見えないと知った」

ここで君というもう一人の人物が登場します。
君は何も信じられずとじこもった僕に対して手を差し伸べてくれます。

僕はその優しさを温かいものだと感じますが同時に寒気がしたと書いてあります。
この寒気がしたという表現ですが、これは僕の強がりなのかなと思いました。

君の優しさを温かいと思う反面、人間不信の僕は君が優しさを向けてくれる理由が分からず、そしてその優しさを信じられず怖いと思ってしまいます。
そしてその恐怖からくる震えを認めたくなくて寒気がしたと言っているのかなと。

優しさの意図が分からない僕は、光の向こうの君の姿が僕には見えない(君の本当の気持ちが僕には分からない)と知るわけですね。


「かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま 暗くなっちゃった
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた ずっと待ってた」

かくれんぼはここでは主人公が自分の殻に閉じこもっていることを表現してるのかなと。
どんどん影を濃くしていく主人公の心、皆は主人公を探しに来ていたけれどその姿を見つけることが出来ず帰っていってしまう。
主人公はそんな中ずっと本当の自分を見つけて一緒にいてくれる人を待っている。


「例えば信じてくれよ こっちはなおさら疑うさ
それより触ってくれよ 影すら溶けていく世界で
影じゃない僕の形を」

信じてくれよの所は先程と同じく人が信じられないという事でしょう。
その後の影すら溶けていく世界、これが結構どっちの事を言っているのか分からなかったです(笑)
明るい世界(外の世界)なのか暗闇(殻の中)なのか⋯。

しかしながらこの気持ちがあったからこそその次の歌詞にあるような行動を取ったのだと考えると、僕の殻の中に来て本当の僕に触れてほしいという事なのかなと。


「君のライトを壊してしまった 窓の無い部屋に来て欲しかった
それが過ちだと すぐに理解した
僕を探しに来てくれてた 光の向こうの君の姿が
永遠に見えなくなってしまった
それが見たかったんだと気付いた」

僕を殻の外に出そうと手を伸ばしてくれていた君の優しさが信じられず僕はそれを拒絶してしまいます。僕は殻の外に出たいんじゃなくて、君にも僕と一緒に殻の中に閉じこもって欲しかったから。

しかし君のライトを壊してしまったせいで僕は君の姿を全く見ることが出来なくなってしまいます。
影すら見えません。
僕のところに来てほしい。そうすれば君の本当の姿に触れられるから。と思い、君を殻の中に引きずり込もうとライトまで壊したけれどそのせいで君の姿が見えなくなってしまったことに絶望、後悔しているようです。

優しさを拒絶した事で君から嫌われてしまったと考えたのかも知れません。
けれど永遠に見えなくなったというのは主人公の主観であって事実ではないんじゃないかなと。

君は主人公の中ではかなり大きな存在、近くにいる存在のようですから一度優しさを拒絶したくらいで
「もう知らん!お前なんかどうにでもなれ!一生顔なんか見たくない!」
となるような間柄でもないんじゃないかなと。
もし嫌われたとしても主人公が殻を破り歩み寄っていけば、また君はライトで主人公を照らしてくれるような気がします。


「かくれんぼしてた 日が暮れてった 見つからないまま ずっと待ってた
皆帰ってった ルララルララ かくれんぼしてた 君を待ってた」

ここは先程と同じ感じかな。主人公は、皆が帰っていく中君だけは来てくれると信じてずっと待っていたようですね。


「もう一度 朝と出会えるのなら 窓のない部屋に 人間が一人
ドアノブが壊れかけていて
取れたら最後 もう出られはしない
出れたら最後 もう戻れはしない」

君の姿が見えなくなった事がきっかけか分かりませんが、最後の最後で主人公はもう一度朝と出会えるのならと言っています。

もしも自分の殻を破れたらまた君に会えるかな、でも怖いなと葛藤をする人間が一人。

ドアノブをひねるチャンスは一度しかありません。
もたもたしていたら経年劣化でポトリと落ちてしまうかも知れません。
何も出来ないまま時間だけが過ぎ去ってもう戻りたくても戻れない。となるのかそれともドアノブをひねり怖いながらも外の世界に出て行くことが出来るのか。
どっちなんだ!と言うところで歌詞が終わってしまうからもどかしい(笑)

私は主人公が人間不信を克服していけたと信じたいですね。
まあただの願望ですけど。

見ていただいた方ありがとうございました。
私の考察は鵜呑みにせず、色んな解釈をしていただけると私自身も嬉しいです。




ユグドラシル

ユグドラシル

BUMP OF CHICKEN ひとりごと 歌詞解釈

今回は「Orbital period」から「ひとりごと」です。
Orbital periodは私が一番好きなバンプのアルバムな訳ですがCOSMONAUTの曲と同じく解釈が難しそーって印象です。
まあ解釈は人それぞれですからね(逃げ口上)
ではよろしくお願いします。


「ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ」

優しさってなんだと思う?
いや、いきなり難しい質問です💦
僕は少し分かってきたようなのですが、それによると優しさとは渡そうとすると粉々になるもののようです。
なんでだろうか⋯。


「ねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけなんだ ごめんね」

ここで僕が言いたいこととしては
「君を笑わせるのは僕がそうしたいだけなんだよ、優しさじゃなくてエゴなんだよごめんね。」
という事でしょうか。

先の歌詞で優しさを渡そうとすると粉々になると書かれていましたが、僕から君への優しさはエゴだから渡そうとすると優しさを優しさとして渡せないんだよ、ということかも知れませんね。


「人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない」

人によく思われたいというエゴから僕は僕の善意を押し付けているよ。見返りを求めずに優しく出来る人になりたい。

見返りなしに人に優しくするって結構難しいと思うし、良く思われたい、好きになって欲しいっていう感情は普通にあるものだと思うんだけど、それすら僕の中ではエゴになってしまうんですね。


「ねぇ 心の中に無いよ 僕のためのものしかないよ
そうじゃないものを 渡したいけど 渡したい僕がいる」

心の中に僕のエゴしかない。君に優しくするのは全部僕のため。
そうじゃない優しさを渡したいんだけどそこ(エゴ以外の気持ちで優しさを渡したいという思い)にすら僕の願望が含まれてしまうよ。

それくらいの願望はエゴじゃないってことでセーフにしないと流石に息苦しそうだけど。と思ってしまいました(笑)


「ねぇ 優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよ
きっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょう」

ねぇ、優しさってなんだと思う?君が無意識にしてくれた無償の親切のおかげでさっきより分かってきたよ。
君は気づいてないよね。

意識せずに、自分でも気づかないうちにする親切が本当の優しさという事ですかね。
藤原さんの優しさ論、実行するのは結構難しそうですね。


「皆 良く思われたいだけ 自分自身を売り込むだけ
優しくなんかない そうなりたい 僕が一番ひどい」

誰も皆エゴで人に優しくしてるんだ。そうやって自分の株を上げようとしているだけで優しくなんかない。
でも優しくなりたいなんて綺麗事を言っている僕は一番ひどいね。


「頭ヘンになったかも いやいや至ってまともだよ
望みは望まない事 僕が知らないうちに 君のためになれる事」

頭がおかしくなったかな?って結構まともだよ。
望みは望まないこと(望むと僕の願望=エゴが発生するため)、それから僕が気づかないうちに君の役に立てることだよ。

こんな考え方ができる時点でとても優しいと思うんですけどね。私は。


「あぁ うん 言われなくたって気付いてる 僕ちょっと考え過ぎ
ありがとう 笑ってくれたおかげで 僕も笑える」

あぁ、うん。そうだね、ちょっと優しさについて考えすぎたみたいだ。
そうやって君が笑ってくれるから、その優しさのおかげで僕も笑えるんだよ。
君は気づいてないだろうけれど。


「ねぇ 優しさって知ってるんだ 渡せないのに貰えたんだ
きっとさ 人と人との 心の外の中だけに 在るんだ
ひとりごと」

ねぇ、優しさについて僕は知ってるよ。渡そうと思うと渡せないのに何気ないところで貰えるものなんだ。
きっと人と人との間の無意識のうち、気づいてないところにあるものなんだよ。
あ、今のは独り言だからね。


「君に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない なれやしない なりたいと思わない」

君によく思われたくて僕は自分の善意を押し付けるだけだ。優しくないし、優しくなんかなれない。
だからもう優しくなろうと思わないよ⋯。

優しくなろうとすると優しくなりたいっていう自分の願いが邪魔をして結局純粋な優しさにならないというジレンマが生まれるので、それから抜け出すには、優しくなろうという気持ちを捨てることが一番なんですよね。きっと。
うーん、難しい。


「一人では無理な事だから 誰かとの間に在るから
どちらのものでもない 名前のない それだけに出会いたい」

優しくなるって一人では出来ない事なんだよ。
その気持ちって誰かとの間にあるものだから。
(二人の間にあるので)どちらのものでもない、優しさとも親切とも名前のつけ難い気持ちに出会いたい。

「ねぇ 優しさってなんだと思う もう考えなくたっていいや
本当さ 僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ」

ねぇ、優しさってなんだと思う?
やっぱりもう考えなくていいや、本当さ。
だって僕らが知らないうちに僕ら自身で優しさを作っちゃったから。


「二人で出会ったよ 」

二人で出会いたかった気持ちに出会えたよ。


藤原さんの考える優しさは結構考えさせられるものがありますね。
無意識のうちに誰かの為になりたい、僕の知らないところで誰かに幸せになって欲しいみたいな意思を感じます。
私の場合やっぱり見返りというか感謝されたいからなかなかその考えに至らないわけですが(笑)

少し曲が変わりますが「透明飛行船」で彼は
「優しさの真似事のエゴ」
「優しさの真似事は優しさ」
と言っています。

まあひとりごとに対しての補足と考えるかはその人次第ですけど、無意識の優しさはもちろん文句なく優しさではあるけれど、自分にとってはエゴに思える優しさでも他人からしたら同じ優しさなんだと言われている気がします。
偽善でも他人が喜んでくれるならしてあげた方がいいでしょうしね。

優しさの形の理想と現実ってこんな感じなのかなと個人的に思いました。(小並感)

今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。
ありがとうございました!


orbital period

orbital period

BUMP OF CHICKENとの出会い

今回は私が書きたかったからという理由でバンプとの出会いについて書きたいと思います。

とは言いつつ専らバンプを聴くようになったのは3年半前くらいからですが(๑• - •`๑)


初めてバンプの曲と認識して聴いた曲は「飴玉の唄」ですね。初めてにしてはマイナー道を行ってる気がしなくもないですが(笑)
中学校の給食の時間にこの曲が流れてたんですよね。
バンプオブチキンとか面白い名前だなー」
くらいの印象だったけれど飴玉の唄自体はカラオケでも歌うくらい好きになりました!


次にバンプに出会ったのは高校1年の時ですね。
その頃私は「こばと。」というアニメが好きで毎週月曜日は教育テレビにチャンネルを合わせていたのですが、そのチャンネルでやっていたみんなのうたというコーナーで「魔法の料理」に出会いました。

高校に入ったばっかりで不安だった私の心に
「君の願いはちゃんと叶うよ」
っていう基央さんの言葉がめちゃくちゃ沁みて思わず泣きそうになってしまいました(笑)
これもよく登下校中にフンフン歌ってしまうくらい好きになりましたね。


そして高校3年の春、合唱部に入っていた私は歌を歌って新入生勧誘をするためにキャッチーでかっこいい歌を探しておりました。
そこで提案されたのが「天体観測」でした。
天体観測と言えばバンプの超有名ヒットソングなのですが4年半前まで聴いたことなかったという(こんなんでバンプファンとか言ったらダメですかね⋯)

提案を受けてから、天体観測を初めて聴いてみたのですがもうめちゃくちゃかっこいい!!
しかもアルトが主旋律をガンガン歌える!!(私はアルトパートでした。)
という事で即採用して何度も練習しました。
本当にあの歌を歌うのは楽しかったです。


この一件があって私の中で確実にバンプの認知度は上がっていたのですが、ファンになるほどのインパクトはまだ与えられていなかったかなと。


そして大学受験前の冬のある日に、その頃仲良くしていたギタリストの友達にちょっと聴いてみて!と言われて聴いたのが皆さんご存知「星のアルペジオ」ですね(笑)
「これバンプの曲なんだよ〜、私好きなんだ〜」
って言っている友達に
「え、これバンプ?本当に?
似たような名前の違うバンドじゃない??」
と訊いてしまいました(笑)

私の中のバンプのイメージとかけ離れてて驚きましたが
「この人たちは真面目にふざけられる人たちなんだな」
と思ったし今まで以上にBUMP OF CHICKENというバンドにすごく興味が持てました。


星のアルペジオを聴いてバンプに興味を持った勢ではありますが、真面目に真面目な歌を歌っているバンプも大好きです。

初期のちょっと中二病っぽい感じ
聴くと元気になれる歌詞
あとは綾波レイちゃんのために歌を作ったり初音ミクとコラボしたりするちょっとサブカルな一面
それからバンプの曲には星を絡めた曲が多いこと(私は無類の星好きで天文学研究会とか言うところに入ってます)
等々が私のフィーリングとマッチしまくって今では
一番好きなバンドになってますね。


本当に星のアルペジオを教えてくれた友達には感謝ですね!
最近はライブにも足を運んだりと精力的に活動しております!


そういえば4月にBFLYのライブに行ってきて改めて思ったのですが、BUMP OF CHICKENが結成されたのって私が生まれた次の年なんですよね。そして今自分がバンプのファンになっているんだなって考えるとなんだか感慨深いなぁと思ったり⋯。
これからも30年40年と続いて昔の若者、今の若者、そして未来の若者に聴かれ続けてほしい。
それが私の率直な気持ちです。

その為にも私はこのブログからBUMP OF CHICKENについて色々なことを発信していきたいと思います。
長々と書いてしまいましたが読んでくださった方がいれば本当にありがとうございました!

BUMP OF CHICKEN ディアマン 歌詞解釈 後編

失礼しました。
ディアマン歌詞解釈の続きです。


「大勢の人がいて ほとんど誰の顔も見ない
生活は続くから 大切な事だってあるから
情報が欲しくて ドアからドアへと急いで
心は待てないから どうせ雲のように消えるから」

ここめっちゃむずい!!と思わず声に出しましたね。いや、もうどういう事??状態です。
えーっとつまり⋯
大勢の人が外の世界にはいるけど、誰も周りなんて見ていない。(誰も僕に気づいてくれない。)
彼らには彼らの生活があって、彼らの守るものがあるから。
変わっていく自分の心を見失わないように追いかけるけど心を捕まえることは叶わない。
ってことかな、うーん、ここはまた色々考えてみます。


「何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ」


「変われなかった少年 昔のようには笑えない
そういう意味では 変わったと言えるのかも
何に勝ちたいのか どんどん自分を強くした
解ろうとしないから 解ってくれなった」

変われなかった=結局怖がりのまんまの自分って事かなと。
どんどん虚勢を張って周りを拒絶して、だけど本当は内心とても怖くて⋯こんな状況じゃ笑えないのも当然な気がします。
そして少年は気づきます。
自分が拒絶して解ろうとしなかったから誰も解ってくれなかったんだ。と。


「変われなかったシンガー 同じ事しか歌えない
それを好きだった頃の自分は きっと好きだった
5Wのアンプが 小さいながらも絶叫した
目を開けたら 全て側にいた 未だに」

一方シンガーの方も実は変わってなかったんですね。結局同じ事しか歌えなくて。
少年は一度拒絶したシンガーのことを解ろうと思いもう一度彼の歌を聴いてみることにしたんだと思いました。
そうすると変わったと思っていたシンガーが変わっていないことに気づけた。あの時気づけていたなら僕は今までずっとこのシンガーの事を好きだったんだろうなと少年は考えたのかな。

窓を締め切ってギターを弾いていたあの頃を思い出す。
そして目を開ける(自分だけの世界から外の世界に戻って来る)と全てがあの頃のまま、ギターもアンプも楽譜も少年がシンガーを大好きだった頃のまま。


「懐かしむ事はない 少年はずっと育ってない
昔話でもない 他人事でもない でもしょうがない
何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身
読み馴れたシナリオの その作者と同じ人」

あの頃を懐かしんでいい思い出にする、それも一つの道ですよね。
「あー、昔はあのシンガーに憧れて僕もバンドマンを目指したっけ、懐かしいなぁ。」
と。そうやって大人になってきた方も多いと思います。

だけど彼はその夢を懐かしんで、昔話として他人事のように話す道は選べませんでした。
何事かを成すには遅くなってしまったけれど、諦めなきゃいけないのも分かっているけど諦めたくない。
まあ端的に言うと後悔してるんだろうなと。自分の中で割り切れてない感じがすごくします。

そして、どれだけ(心が)旅をしても、どんどん変わっていっても結局自分は自分で、自分以外のものに変わることは出来ないんだな。どれだけ姿形が変わろうとシナリオの作者(自分自身)なんだなとしみじみ。


「アンプは絶叫した 懸命に少年に応えた
シンガーは歌った イヤホンから少年へと
どこにだって行ける 僕らはここにいたままで
心は消えないから あの雲のように何度でも」

どれだけ時間が経っても音楽はあの頃のように一生懸命少年に応えます。
シンガーもあの頃のように少年へと歌い続けます。
その後、僕らはここにいたままで僕達の思いは歌に乗ってどこまでもいけるよと解釈したのですがここはちょっと雑な考察かも⋯すみません。

そして先の歌詞では心は雲のように消えて掴みどころのない存在という感じでしたが、ここでは消えずにちゃんとあるという確信が生まれています。
これは心が揺らがないものになったとして彼の成長と捉えるべきなんですかね?


「何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ
その声とこの耳だけ この声とその耳だけ 」

散々出てきたこのフレーズ、やっぱり
「まだ周りの人のこと何にも知らないんだよね多分、僕はまだ全然理解してあげられてないんだよね」
と取るのが無難かなと。


正直考察が難しくてグダグダしましたすみません。
まだ私も人生経験が足りないのでこういう事あったあったって思いながら考察が出来ない歌詞とかもあって⋯(>_<;)

今回の少年とシンガーの関係についてはバンプも明言はしていないのでどうにでも取れると思います。
けれど私がディアマンを初めて聴いた頃にネット掲示板等で
バンプは変わった、金儲けのためにテレビに出るようになった」
とか
「昔の尖った感じがない、今は丸くなりすぎて面白くない」
と言った意見をちらほらと目にしておりました。

そのせいで私は、この曲は藤原さんからバンプファンへのメッセージなんじゃないかなと感じるようになりました。
「君達は変わったって言って興味を無くしたみたいだけど僕らはずっと同じ事しか歌ってないし、表現方法が変わっても本質は変わらないよ。
もし僕達から離れて行っても、また戻ってきた時は君のために一生懸命歌うよ!」
って言うメッセージを感じるというか。

最近のバンプは〜とか言ってる人は本当にディアマンを一回聴いてくれと思う(笑)
藤原基央の牙は折れてない、爪も鋭いまんま、昔と変わらないBUMP OF CHICKENって言うのを感じられると思うんです。

この歌の主人公は自分の夢を叶えられなかった、まあ有り体に言えば敗者な訳ですけど、敗者の物語をここまでかっこよく歌えるのは流石だなと思ったし何度聴いても最高ですね。
BUMP OF CHICKEN藤原基央の真髄と言った感じです本当に。

正直最後のこれを言いたかったが為に歌詞解釈をしました(笑)
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
拙い部分も多かったですが何か響く部分があれば嬉しいです。


BUMP OF CHICKEN ディアマン 歌詞解釈 前編

今回は「グッドラック」カップリング曲になっている「ディアマン」についての歌詞解釈をしていきたいと思います。この曲本当に大好きです。
比較的最近のバンプ曲だけど昔の曲みたいに尖った感じが分かりやすく出ている気がするので。

ディアマンをずっとDear manだと思っていたんですけど巷ではダイアモンドの事だろうとも言われてるらしいですね。
確かにバンプは壊れない、変わらない、光り輝くものの例えとしてダイアモンドだとか宝石だとかを出してくるからその可能性もありそうだなーと思いつつ歌詞考察に入ります。(後々よく聴いてみたら曲中ダイアモンドのフレーズが流れてきたのでこれは確定っぽいですね。)


「怖がりな少年 どんどんギターを歪ませた
他人は少しも 解ってくれなかった
5Wのアンプが なるべく小さく絶叫した
閉め切った窓 三日月が覗いてた」

主人公の少年が出てきましたね。怖がり、他人は少しも解ってくれなかった、などの歌詞から他人に自分の気持ちを上手く伝えられない、人と関わるのがあまり好きではないと言ったイメージを持ちました。
それからどんどんギターを歪ませ、アンプを絶叫させている辺り、音楽が大好きでしかたないんだろうなと。

音楽が好きで好きでしかたないけれど周りは僕のことを解ってくれないからなるべく小さな音で窓も締め切って音が漏れないように練習しないとなぁ。(音が漏れたら、うるさい!だとか、遊んでないで勉強しろ!とか言われそうだし⋯)って感じの心情なのかも。


「布団被ってイヤホン ラジオなかなかのボリュームで
キラキラした音が 体を走り回った
大好きなシンガー なんで好きなのか解らない
目を閉じれば すぐ側にいた 確かに」

5Wのアンプがなるべく小さく絶叫した。
布団被ってイヤホンラジオなかなかのボリュームで
の歌詞から感じられたは少年の音楽への情熱と、その情熱を他人から非難されることへの恐怖ですね。板挟みになってるなぁと。

イヤホンを付けて目を閉じ(好きな理由は分からないけれど)大好きなシンガーの曲を聴いていると、そのシンガーが僕に歌いかけてくるようでとても近くに感じられる。みたいな感じかな。


「その声とこの耳だけ たった今世界に二人だけ
まぶたの向こう側なんか 置いてけぼりにして」

私もイヤホンを付けて目を閉じてバンプを聴いているとこんな気持ちになる事があります。
イヤホンをつけると他の雑音が全然入ってこないし、視覚情報からの外界との繋がりも断ち切ってしまうので本当に世界に私と藤原さんしかいない気持ちになりますね。


「どこにだって行ける 僕らはここにいたままで
心は死なないから あの雲のように遠くまで
何にだってなれる 今からだって気分次第
退屈なシナリオも 力ずくで書き直せる」


分かるようで分からない(笑)
物理的に距離があるはずの僕とシンガーが目を閉じるだけですぐ側にいるように感じられる(どこにだって行ける)という事なのか、あるいは僕の世界では僕は自由で何者にも縛られないという事を表しているのかも知れませんね。心は死なない=自由とも取れそうですし。

僕の世界の事を表しているとすれば、どこにだって行けるのも何にだってなれるのも当然ですね。

退屈なシナリオ=少年の心の外にある世界での生活って事かな。
シナリオを書き直すというのは現実逃避、妄想するという事だと考えました。

私自身子供の頃は
「もしお金持ちだったら⋯」
とか
「もし美人に生まれていたら⋯」
等々取り留めもないことを妄想して現実逃避していたのでこの気持ちは分かりすぎるなぁ。(黒歴史感が⋯。)


「何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ」

これは後で何度も出てくるので後回しにします。


『「常に誰かと一緒 似たような恰好 無駄に声がでかい」
「話題は繰り返し ジョークはテレビで見た」
「語り合い 励まし合い ケンカする 仲間が大事」
そういうのを見下している 腹の底』

「」内は少年の心の外にある世界で起こっている事でしょうね。
少年は怖がりで誰かから非難されることを恐れているため周りに合わせているけど本当はこんな事したくない、つまらないと感じているようです。


「怖がりな少年 どんどん自分を強くした
キラキラしたものの 裏側を疑った
変わってしまったシンガー 昔のようには歌わない
がっかりした そのうちなくした 興味を

易々と気は許さないさ 紛い物ばかりに囲まれて
まぶたのこちら側で ずっと本物だけ見てる」

どんどん自分を強くした=虚勢を張るようになっていったのかなと。
自分が大好きだったシンガーが今までのように歌わなくなってしまった。なんだ、彼らも商業主義に飲まれたのか。この世界って嘘だらけじゃないか!

(本当は誰かに解ってもらいたい、寂しいけど)こんな嘘だらけの世界に気を許したりなんかしない!僕の世界にあるものだけが本物なんだ!!
と自分の内側に閉じこもっていってる感じがします。


途中ではありますがディアマン自体かなり長めの曲だっていうのと私が書きたいことを書き散らしていくことを考えると、一つの記事がめちゃくちゃ長くなることに気づいたので一度切ります。
すみません(。>ㅅ<。)💦


後編 http://belleetoile.hatenablog.jp/entry/2016/08/25/021719


BUMP OF CHICKEN ラストワン 歌詞解釈

この前書いたものをそのまま貼り付けるだけになりますが⋯(>_<;)

約束が欲しかったんだ 希望の約束が そのためなら 全てを賭けられる様な

それがある誰かさんは ぎりぎりで大変なんだって
それがないからといって そんな風に見ないで

一日中何してたんだっけ イライラしたのは何故だっけ
受け入れたような顔をして 欲張っているんだろうな きっと

きっと 何度でもなんて無理なんだ 変われるのは一度だけ
鏡の中の人に 好きになってもらえるように
笑ってもらえなくてもいい 笑えるようになれたらいい
嫌いな自分と一緒に 世界まで嫌わないように

どうでもいいという言葉 どうにも主張しがち
傷付けたいのかもしれない 仲間探しかもしれない

何もない誰かさんが 何かを見つけたんだって
くだらないって誤魔化した その時間がくだらない

動こうとしない理由並べて 誰に伝えたらどうなるの
周りと比べてどうのじゃない
解っているんだ そんな事は

どれだけ傷付いたって 誰にも関係ない事 鏡の中の人とだけ 二人で持っていける
何でちゃんとお腹が減るの 何のために息は続くの
明日もきっと生きているよ 誰にも関係ないままで

約束が欲しかったんだ 希望の約束が それがないという事に 甘えていただけ

大声で泣き出したいよ 慣れてなくてうまく出来ないよ
嫌いな世界と一緒に 自分まで嫌わないように
何度でもなんて無理なんだ 変われるのは一度だけ
鏡の中の人と 交わした希望の約束

変わらないままの人と 鏡の前で向き合えるように
そう変わるんだ 一度だけ変わるんだ そう変わるんだ

主人公は自分に自信がないため(原因は不明)他人との関わりが怖くてしかたない。(関わりたいという気持ちはある。)


解釈

約束とは誰かとするもの(二者間で信頼関係が生まれる。)
約束とは守るもの(守れる人や物がほしい。)
全幅の信頼が置ける、その人のためなら何でも出来るような関係の人がほしい。
そしてその人を守りたい。

守るべき家族、会社の部下、友人などがいる知り合いはそれを守るために必死だ。
そういう繋がりがない僕を可哀想だと思ったり馬鹿にしたりしないで。

無為に日常を過ごしている。
それに不満は無いような顔をしているけれど本当は守るものがある周りが羨ましくてしかたない。(他人との繋がりがほしい。)

守るものがあるなんて面倒くさい。人間関係なんてどうでもいいよ。と言う意見に同調してくれる人を見つけたい。
大切なものを守っていた人達が、
「自分はなんて面倒な事をしていたのか。」
と思ってくれたら僕は自分を正当化出来る。

自分と同じように1人ぼっちだった人が大切なもの、守るべきものを見つけたらしい。
羨ましかったけれどそれを悟られたくなくて誤魔化した。
そんなことする暇があるなら動けばいいのにと自分でも思っている。

動こうとしない理由(自分が人と関わろうとしない理由)を他人に伝えたってどうなるんだろう。

その後は多分他人とのやり取り
補完すると
他人「皆それぞれ辛いことはあるんだよ?あなたより大変な思いをしてる人もいるよ。」
僕「周りと比べてどうのじゃないんだ!(僕には僕の辛さがあったんだよ。)」
他人「それでも皆頑張ってるからあなたも頑張らなきゃ!」
僕「解ってるんだ、そんな事は!(そうしたいけど怖くて出来ないよ。)」
といった具合になるから誰に言ったって解ってもらえないだろうな。

自分の辛さは自分にしか分からないことだ。
生きる意味は見つからないまま他人とも関われないままで明日も過ごすんだろうなぁ。

信頼出来る、守りたいと思える人がほしかったけれど、今までそういう人がいなかった事に甘えて人と関わってこなかったんだ。

サビ解釈

何度でもなんて無理なんだ 変われるのは一度だけ

何を変えるのかについては色々当てはめられると思うけれど、ラスサビで「変わらないままの人(自分)と鏡の前で向き合えるように」とあるので、コミュ障治せとか見た目を変えろとかそういう事では無さそう。

ここで
「嫌いな自分と一緒に 世界まで嫌わないように」
「嫌いな世界と一緒に 自分まで嫌わないように」
とあるので主人公は自分を認めてくれない世界も、世界から認められない自分も嫌っていることが分かる。

さらに
「鏡の中の人に好きになってもらえるように」
という歌詞を言い換えると自分自身を好きになれるようにとなる。

つまり、ありのままの自分を受け入れられない自分からそういうところも愛せる自分に変わっていこうという意味かなと推測。

何度でもなんて無理なんだの意味については、自分の事を嫌いな人が自分を好きになるのが難しいように自分を好きな根拠をいくつも持っている人が自分を嫌いになるのもまた難しい、という事かと。

「鏡の中の人と 交わした希望の約束」
についてはこれまで通り約束を信頼出来る、守りたい人のメタファーとして考えるなら、まずは自分自身を信じて大切にしてみるよという意味合いになるかなと。(正直これはこじつけ感あるけど。)


メッセージとしては、自分を好きになって自信を持ってみようよ。そうすれば見える世界も変わってくるよ。
とか
(外的要因から)辛いことがあってもそれだけが世界じゃないから絶望しないで。それが原因で自分に自信を無くす必要も無いよ。
みたいなことを言ってるんじゃないかなと。(かなり安直な推測)


色々な解釈をお聞きしたいのでまず自分からと思って書きました。
そこは自分の考えと違うぞ!みたいなところがあれば教えて頂きたいです。よろしくお願いします。


BUMP OF CHICKEN トーチ 歌詞解釈

BUMP OF CHICKENが大好きなバンプファンです。
とは言っても最近まで歌詞解釈をしながら曲を聴いたことがなかったのですが(笑)
今回はアルバム「RAY」から「トーチ」という曲を選ばせて頂きました。

トーチには松明、灯り、目印になるもの、光の中心と言ったイメージが個人的にあるのですがこのタイトルがどういう意味を持つのか曲から読み解いていければと思います。


「出せない悲鳴が真夜中騒いで 四角い部屋で迷子になったら
呼びかけて欲しい 僕の中 君のいた場所から」


まずここで君と僕という登場人物が出てきます。
この君と僕を同一人物と見るか別人と見るかでもだいぶ解釈は変わってきそうですが、今回は別人として考えました。

出せない悲鳴が真夜中騒いで 四角い部屋で迷子になったら、は主人公が「何か」辛い出来事に遭遇し、気丈に振舞ってはいるものの心の中では辛くてしかたなく、自分の部屋の中で後悔や悲しみの念に飲まれている状態だと思いました。

その後の、呼びかけて欲しい 僕の中 君のいた場所から、は僕の中(心の内側)の君のいた場所から僕を正気に戻してほしいといったような感じかなと。


「醜い思いが身体中暴れて 昨日と明日に爪を立てたら
笑いかけて欲しい 僕の中 いなくなった場所から」

先述した主人公に起こった辛い出来事とは「君との死別」なのではないかと私は考えました。
死別はあまりに安易な考えに思えて好きではないのですが、そう考えると腑に落ちたので。

君がいない世界ならもうどうなったっていいよ!昨日も明日も要らないんだ!と僕が悲嘆に暮れている時は、そんな事ないよと言いながら君がいなくなった場所から僕に笑いかけて欲しい。みたいな感じでしょうか。


「そこから今でもここに届く すぐにでも心を取り戻せる」

「そこ」を最初は君のいた場所と捉えていましたがそうすると後々矛盾が生じるので、「そこ」=今君がいる場所(天国?)から「ここ」=君のいた場所と考えるようにしました。

君のいる場所は変わってしまったけれど今でもここから君の声が僕には聞こえるはずだ!君の声を聞くことが出来ればそれだけで心が癒えていくはずなんだ!といった具合かと。


「震える足でも進めるように 自動的に空が転がるように
次々襲いくる普通の日々 飲み込まれないでどうにか繋いでいけるように」

君を失ってしまったのが辛くてまだ前を向いて歩いていくのは怖い。
その間にも何度も何度も太陽と月は入れ替わり、僕の心境に関係なく何事もない普通の日々はやって来る。

この後の「飲み込まれないでどうにか繋いでいけるように」はかなり解釈の幅が広がりそうですが、私は「絶望や悲しみに飲み込まれないで生活を繋いでいけるように」と言う風に捉えました。


「とげとげした音が耳に飛び込んで それでも君のようにいたいから
見ていて欲しい 僕の中 さよならの場所から」

ここではトゲトゲした音、君のようにいたい、の2つについて考えたいと思います。

トゲトゲした音、は確実に主人公にとって耳触りの良くない音ですね。主人公への悪口、もしくは君がいなくなった事についての話かも知れません。
とにかくマイナスイメージなものでしょう。

次に君のようにいたいとありますが、主人公は君をどの様に感じていたのでしょうか。
多分Aメロを見る限り、僕を助け、導いてくれる優しく強い存在だったのだと思います。

つまり解釈としては、色々と嫌な事を耳にするけど君のように優しく強くありたいから嫌な事も乗り越えていくよ!見ててね!と言った感じかと。


「少しずつだけど足跡増えたよ 少しでも君のようにいたいから
ここまで続いた 僕の中 君のいた場所から」

少しずつだけど前に進んでるよ。君のように強く生きていきたいから。
君のいた場所からここまで足跡が続いているよ。


「そこから離れていけるように 1ミリも心は離れない」

ここで言う「そこ」はきっと君のいた場所でしょう。

ここで言いたいのが、最初の方の主人公って君がもういないのに、君のいた場所にずっと縋ってそこから動けてないんですよね。

けれど少しずつだけど足跡増えたよの辺りから段々と前に進み始めている。
見ていてほしい~から足跡増えたよまでの間にある間奏は時間経過を表してそうですね。

ただこの一文は正直全然分からねぇ(笑)って感じでした。一応解釈としては、前を向いて歩いていくために君のいた場所から離れていくけれど君の事を忘れるわけじゃないよ、君との記憶は一緒に持っていくよ!って感じかなぁと。


「伝えたかった思いは時間をかけて 言葉になったけど もう言えないから」

バンプで恋愛とかねーよwって人がいるのを承知で書くと、伝えたかった思いって言うのは好きって気持ちだったのかなと。

正直自分の状況を逐一君に報告してる主人公が感謝の気持ちとか懺悔の言葉とかは君に届かないと考えるのもおかしいかなと。
あとTHE BLUE HEARTSの曲にもあるのですがtorch songとは失恋、片想いの曲という意味らしいので可能性はありそうですよね!


「君といた事をなくさないように なくした事をなくさないように
どれだけ離れてもここにある 君がいるからどこまでだって」

君との思い出を忘れないように、そして君が亡くなった事実を受け入れていけるように。
君がいた場所からどれだけ離れてもここに君がいるからどこまでも行けるよ。(多分当初の主人公は君のいた場所に留まり続ければ君が戻ってくると思っていた。orそこにいなければ君の事を忘れてしまうかもと恐怖していた。)

「震える足でも進めるように 今も星空が広がるように
すぐにそんな風には思えなくても 動かなきゃきっと君に会えない
会いたい 会いたい」

今も星空が広がるように、では君のいた場所しか見えていなかった僕が少しずつ自分の周りにはいくらでも道があってどこにでも進んでいける事に気づき始めているのかなと。

僕はどこにでも行ける、さあ行くぞ!とすぐには思えないけれど動かなきゃきっと君には会えないよね!早く会いたい!って感じかな?

ここで
「あら?君は亡くなってるんだから動いても君には会えないんじゃない?」
と思った人もいると思いますが、先の解釈で僕は君のようにありたいと言っていましたよね。君のように優しく強い人になるから見ていてね。と。

だから補足すると

僕はどこにでも行ける、さあ行くぞ!とすぐには思えないけれどくよくよしたままの僕じゃ恥ずかしくて君には会えないよね!早く見られても恥ずかしくない僕になって君に会いたい!ってなるんじゃないかなと。

最後の「会いたい」は前向きになってきてはいるものの本当は生きている君に会いたくてしかたないという意味かも知れませんが。

因みに君のいた場所について色々考えてみたのですが、よく大切な人が亡くなった時に使われる言葉として「心にぽっかり穴が開く。」と言った表現がありますよね。多分この穴になった部分こそ君のいた場所だったのではないかなと。


そして最後にトーチというタイトルの意味についてですね。
これは本当にめちゃくちゃ解釈が分かれると思うので私の解釈に納得いかない方もいると思いますが。
私はトーチ(火)=君との思い出として捉えました。

火は最初君のいた場所で燃えていました。
僕は君のいた場所から離れることは火から離れることと同義だと考え、そこから離れることを怖がっていました。(真っ暗闇な心の中で火から離れていくのが怖くないという人はあまりいないだろうし当然ですね。)
ここでひとつ。トーチは聖火リレーとかでも見られるように人間が火を持って歩くために作られた道具
なんですよね。
何かのきっかけがあって僕は火が自分と一緒にどこまでも行ける存在だと分かります。
そしてトーチに火をつけ自分の進みたい道をその火で照らしながら少しずつ前へ進んでいく、そういう物語なのかなと思いました。

長くなりましたが今回はこれで終わりたいと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました!
他の方の解釈なども聞いてみたいのでコメント等ありましたらよろしくお願いします。